一人選挙
2005年 09月 05日
人間の目は優れている。
自分の見たい物にフォーカスをあわせて、その他の物を背景として認識することができる。
人間の耳は優れている。
たくさんあふれている音の中から、自分の聴きたい音を聴き、
その他を雑音とすることができる。これはまだ機械では不可能だそうだ。
だから僕らは見たい物を見て、聴きたい音を聴く事が出来る。
無意識に選りすぐっている。
その機能がなければとっくに病んでいるだろう。
見たくないもの、聴きたくない音に溢れている。
これは自分の問題だ。
自分が背景と思っているなかに素晴らしい景色があったり、
雑音だと思っていたものの中に興味深い音が混じっていたり…。
そこに意識を向け、調節するのは自分がやるしかない。
さて、このままのスピードで僕にとっての見たくない背景と、聴きたくない雑音が増えて
いったら、僕には何も見えず、何も聞こえなくなるのだろうか?
そんなことはない。
それ以上にまだ見たことない景色、聴いたことのない音が世界にはたくさんある。
そりゃあもうたくさん…。
一生かかって何分の一が見れるだろうか?聴くことが出来るだろうか?
あー、もったいね。
自分の見たい物にフォーカスをあわせて、その他の物を背景として認識することができる。
人間の耳は優れている。
たくさんあふれている音の中から、自分の聴きたい音を聴き、
その他を雑音とすることができる。これはまだ機械では不可能だそうだ。
だから僕らは見たい物を見て、聴きたい音を聴く事が出来る。
無意識に選りすぐっている。
その機能がなければとっくに病んでいるだろう。
見たくないもの、聴きたくない音に溢れている。
これは自分の問題だ。
自分が背景と思っているなかに素晴らしい景色があったり、
雑音だと思っていたものの中に興味深い音が混じっていたり…。
そこに意識を向け、調節するのは自分がやるしかない。
さて、このままのスピードで僕にとっての見たくない背景と、聴きたくない雑音が増えて
いったら、僕には何も見えず、何も聞こえなくなるのだろうか?
そんなことはない。
それ以上にまだ見たことない景色、聴いたことのない音が世界にはたくさんある。
そりゃあもうたくさん…。
一生かかって何分の一が見れるだろうか?聴くことが出来るだろうか?
あー、もったいね。
by showblue
| 2005-09-05 10:17
| 一般論